正論ほど恐ろしいものはないということ

『自転車泥棒』という古いイタリア映画がある。

簡単に説明すれば、子持ちで無職の男が自転車を盗もうとする話だ。

 

これだけ聞くと「その男はどうしようもないヤツだ」「子供がいるのに恥ずかしいやつだ」と思うだろう。

 

だが、作品を観てみると、考えが変わる。

なぜ男は自転車を盗んだのか、盗むという過ちを犯したのかが、しっかりと描かれているからだ。

「人のものを盗むのはダメ=自転車を盗んだこの主人公はどうしようもない悪人だ」とは、とても思えなくなる。

 

ネット上にはさまざまな正論が溢れている。

「~すべき」「~するのが当然」「~なんて考えられない」等々。

そしてそれらの意見には、少なからず賛同者がいる。

 

だが、それらは危険なものでないかと時折感じさせられる。

物事の外側、ごくごく一部の情報しか知らず、自分のものさしと憶測だけでなされた判断を、多くの人が「正しい」と信じ切っているのではないかと。

 

そうした発信者の言葉は一見社会の慣習に則ったかのようであり、そういう意味では「正論」と言える。

だからこそ、「正論」は危ない。

「正論=正しい」は、絶対でないのだ。